釣行日 場所

2002年4月18日・19日 岸田川

君知るや「岸田の小芋洗い」


水車は廻るゴロンゴロン・・・

 

■岸田川で川に降りるなり、不思議なものを見つけました。
最初、何や分からず、近づいてみると水車の中で小芋(里芋)がゴロンゴロンと転がっておりました。文字通り「芋の子を洗う」状態ですな。そこで焚き火をしながら、午前中ずっと見ていたのですが、朝一番、土もついて黒かった小芋は、お昼前には見事に皮も剥げて白くなっておりました。今から思いますと、この「小芋洗い」の水車が、今回の釣りの何かを象徴するような風景でありました。

■さて4月18日・19日と岸田川の田井さんの小屋「渓田舎」にお世話になりました。今回はノータリンクラブ会長の天子山人さん・游魚人さんをお招きいたしまして、岸田川を探釣がてら、山本素石さんやノータリンクラブのこと、古き良き時代の山釣りの話などをいろいろお聞きしようという趣向でございます。
小屋主の田井さんは、元ノータリンクラブの紀村落釣さんのやっておられた「淡水魚保護協会」に出入りされていたこともあって、話に共通点もあり、初日の夜の宴は大いに盛り上がりました。またタラの芽を始めとする山菜づくしの食卓、いつもいつも「ゴチ」でありました。
そして「タラの芽をタラふく食う」。確かこれが游魚人さんの駄洒落の始まりであったと記憶しております。酔うにつれ、その後13回までは数えていたのですが・・・。

■翌日、小生の目が点になりました。その理由を少し書き連ねてみますと、

@ 朝一番、田中の村から入渓するも寒ぶうてアタリなし。「まだ釣れんなあ。焚き火でもしましょか。」と山人さんが石を囲み、火を起こしました。ちょうどその頃、村のおじいさんが「小芋洗い」の水車をセットしておりました。
A 陽が差し始め、少し気温も上がった10時頃、再び竿を出すも、今度は雪しろが流れ出したのか、反応なし。「あかんなあ」と言いつつ、今度は魚人さんがスケッチブックを取り出して絵を描きはじめました。これは、その日の風景を心に刻む行為のように思えました。野鳥のお話も少し承りました。
B お昼ごろ、汗ばむくらいええ天気になり、「もうぼちぼちやろ」と竿を出しますと、ようやく、ぽつぽつとアマゴやイワナが掛かり出しました。その合い間も、山野草を探したり、渓流の石を愛でたり・・・村の人が覗き込むと、声を掛けて話し込んでおられます。
その間ずっと、焚き火拾いと小芋洗いの水車の守りをしなければなりません。水車が少しづつ芯棒からずれて止まるのでございます。午前中、この田中の村から上の発電所までで、ちょうどええ川通しになるやろという小生の目論見が、見事、すかされました。まったく動いてないんですな、そこから。

■はたしていったい、あの釣りは何やったのか?文科系のノリか、それとも文人趣味なのか?はたまた寄り道とか道草なのか?そらもうキョトンと目が点になりまっせ。しかし、一見、穏やかなようで、何やら底知れぬ不気味さを孕んでおります。ああいうふうな渓流の楽しみ方もあるんですな。わたしゃ、魚釣りと言うもの、魚篭の中の釣果ばかりが、その日の釣りの全てやと思っておりました。

■天子山人さんの毛鉤は、前にアルゼンチンへ行かれた時に手に入れたペンギンの幼鳥の羽根やそうです。これがまた小振りで、水切れもよく、ほん具合がええんやとか。

■山人さんが焚き火をしながら、「いつも田中さんもこんな釣りですか?」と聞かれましたので、「いやあ、いつもはサンライズからサンセット、日の出から日の入りまで、飲まず食わず出さずで、釣れんなあ釣れんなあとボヤきながら毛鉤を振っております。但しグー・チョキ・パーの、坊主か2匹か5匹のテンカラですが。」と申し上げると、ニコニコと笑っておられました。

■家に戻ってからも、しばらく、ノータリンクラブの釣りに目が点になったままでございました。また姫路の釣り友達に、小芋洗いの水車の話を、少しの感動も交えて話すと、「お前、芋が白うなるの、ずっと見とったんけ。ヒマやなあ・・・」と笑われました。ようやく焦点が定まりましたのは、それから二、三日たって朝日新聞で書家 榊莫山の次の言葉を目にしてからでございます。
「花アルトキハ花ニ酔ヒ 風アルトキハ風ニ酔フ」ま、こういうことなんですな。出来ることなら魚篭の中の「魚ニ酔ヒ」たいものでありますが・・・。

レポート:京都北山テンカラ会  田中 佳憲


村の爺さまと談笑する山人さん。焚き火の煙の向こうに魚人さん

 

 


ようやく一匹釣れて快心の笑みの山人さん

 

 

 

     

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